台湾で「タイパ」について考えた
「キッチンなんて要らない」
大学の授業の一環として台湾でフィールドワークをすることになったため、台湾の方を講師にお招きし、オリエンテーションを兼ねて現地の生活事情について話を伺う機会を得ました。その際、話題が食事のことにも及んだので、夜市の賑わいを例に出し、彼の地の外食や中食の実態について質問してみました。
話によれば、実感として、台湾の人口2300万人の3分の1ほどが台北に集中して住んでいるため(実際には250万人)、COVID-19対策の折にはウーバーイーツのようなフードデリバリー業者を利用する動きが盛んだったそうです。もう少し掘り下げて聞いてみると、居住環境にまで話が拡がりました。主に単身者向けではあるけれども、台北では「1LD」のような「キッチンの無い物件」も少なくないと言うのです。外に食べに行けば良いし買うところもあるので、「キッチンは要らないという選択肢もある」ということなのでしょう。
確かに使わないもの、共有できるものにコストをかける必要はありません。たとえば日本でも、銭湯は入浴資源を共有するシステムとして位置付けることができるでしょう。逆に言えば、共同利用から個人利用へ志向が変化したことと、運営コストが釣り合わないことと合わせて銭湯が激減した、と考えることができます(全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会への加入数も、ピーク時の1968年には17,999軒あったものが、2023年現在は1,755軒にまで減っているとのこと。https://www.1010.or.jp/zenyoku/about.html)。またサウナブームはこの逆の動きとして捉えることができるでしょう。
さて、昨今「コスパ(コストパフォーマンス)」に替わって、「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉を耳にする機会が多くなりました。これは、主にZ世代(概ね1990年代中盤から2010年代序盤までに生まれた世代:いわゆるデジタルネイティブ)の傾向として語られることが多いようです。コストに見合わないものを切り詰めて再配分しようという視点を時間に当てはめた寓話として、ミヒャエル・エンデの『モモ』があるのは、みなさまよくご存知のことでしょう。台北のキッチンの話と比べたときにあらためて思うのは、時間をカットすることで何を手に入れることができるのか、ということです。いや正確に言えば、節約した時間に見合ったものを手に入れる場やシステムはきちんと意識されているのだろうか、ということです。
つまりキッチンが無くても、屋台やフードデリバリーで食べるものを手に入れることができるのならそれで良いでしょう。また銭湯が無くても自宅にくつろげる湯舟があるのならそれで良いのでしょう。ただその一方で、ショート動画やドラマの倍速視聴、電子レンジによる解凍だけで済む冷食宅配やオンデマンドでの授業参加等、タイパを追求するZ世代たちにとって、時間をカットして手に入れたものは、どのような形で「生活の質」を担保してくれているのでしょうか? 時がもたらしてくれる豊かさを「時間泥棒」から取り戻してくれる、モモのような存在とは出会えているのでしょうか? レジャーの研究や教育に携わる者としては、つとに気になるところです。